ご挨拶とプロフィール:京都の整体なら京都南カイロプラクティック研究所へ |
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自己紹介 | |||
1960年 京都市中京区四条新町上る鉾町に生まれる。立命館大学経営学部卒業。 元ナショナルカイロ大学名誉学長 故Dr.ジェンシー(左)元同大学学長 故Dr.アルノナルド(右) Narita Seminar−1984− 第19回日本カイロプラクティックセミナー JCA日本カイロプラクティック総連盟主催 |
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略歴 | |||
1984年 | NCC(米国ナショナルカイロプラクティック大学)卒後教育セミナー修了 | ||
1985年 | 国家試験合格 鍼灸師(第2812号) | ||
1986年 |
JCA(日本カイロプラクティック総連盟) カイロプラクティック学院上級試験合格 JCA認定カイロプラクター 米国ナショナルカイロプラクティック大学同窓会員 |
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1990年 | NCC解剖実習修了 | ||
1993年 | JCA(日本カイロプラクティック総連盟)退会 NCA(日本カイロプラクティックアカデミー)入会 |
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1994年 | NCA(日本カイロプラクティックアカデミー)認定カイロプラクター 日本カイロプラクティック師協会指定院 |
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1997年 |
『WFC(世界カイロプラクティック連合/World Federation of Chiropractic)カイロプラクティック世界大会TOKYO』に実行委員として参加。 招待講演の一部の司会とDREAM CHROPRACTIC CLINIC最終日の講師を担当 |
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所属学会等 | |||
・日本カイロプラクティックアカデミー (NCA)正会員 ・NCA学園講師・学術委員 ・日本徒手医学学会正会員 ・日本代替・相補・伝統医療連合会議(JACT)正会員 ・メディカルアロマテラピー研究会正会員 |
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私が治療家になった理由 | |||
「会計学」など今の仕事とは畑違いの勉強をしていた学生時代、私の母親は年に数回ギックリ腰を患い苦しんでいました。いつも歩行困難な状態が続くので、時間に余裕のある私が脇を抱え病院へ付き添っていました。
しかし、寝返りをするのも困難な強い疼痛が続くため、病院を幾つもまわりましたが、診察する医師は口を揃えて「骨には異常ありません」と、原因について説明はなく湿布をいただくだけでした。
仕方なく評判のいい治療院を探し、鍼灸や整骨の治療院にも通い始めました。次第に手技療法の奥深さを知ることになり、治療の世界に関心を抱くようになりました。 カイロプラクティックを学び始めてすぐに驚いたのは、母の足の長さをうつぶせの状態で見ると左右で〜4センチの違いがあり、骨盤も目で見てわかるほど歪んでいました。当時はまだ素人ながらも、「これでは腰が痛くなるのも当然だ!」と思いました。 患者さんの症状・訴えの原因を考える際、母がこれまで受療してきた医療機関での、望遠鏡を覗くような狭い視野で診察されますと、まわりのことが全く見えていないようで大変残念なことです。 痛みを訴えている患者さんには何らかの原因があってのことで、「異常はありません」と一言で済ますのは全くおかしな話です。患者さんを診る上で、視野を広げるための研鑽がいかに大切であるか、常に謙虚な姿勢を失わないことがいかに大切であるかを、母の腰痛体験を通じて痛感しました。 現在は、母のような繰り返す激烈な腰痛で悩む方に対して、一人でも多く、その苦痛を取り除くお手伝いをすることが、私に与えられた使命だと思っています。病院を転々とした母の苦い思いを忘れることなく、これからもより一層の努力をして、苦しんでおられる方から痛みを解放できるよう、おごることなく精進して参ります。 |
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治療室移転のお知らせ -2004年8月25日- | |||
人生折り返しの歳を迎え、生まれ育った祇園祭で知られる明倫(めいりん)学区に戻ることに致しました。 尚、中京区へ移転に伴い、治療所名を、 2004年8月25日 京都カイロプラクティック研究所 代表 荒川善治 ■ 移転先 : 〒604-8204 京都府京都市中京区室町新町の間六角上る了頓図子町475-13 ■ 交 通 : 京都市営地下鉄 烏丸線・東西線「烏丸御池駅」6番出口より徒歩4分 ■ TEL 075−211−2286 FAX 075−211−8662 ■ What's Ryoutonzushi ? 了頓図子とは ここ了頓図子町は、足利家代々の従臣・広野家があった由緒ある一角。 |
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京都南カイロプラクティック研究所 〒604-8204 京都市中京区室町新町の間六角上る了頓図子町475-13 TEL 075-211-2286 |