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カイロ創世 D.D.パーマー/最初のカイロプラクティックアジャストメント/カイロプラクティック言葉の由来

ORIGIN OF CHIROPRACTIC

カ イ ロ 創 世 D.D.PALMER

カイロ創世 D.D.パーマー/最初のカイロプラクティックアジャストメント/カイロプラクティック言葉の由来自然療法や民間療法の多くが、非科学的という理由のみで正統医学と認められず消え去っていった。その苦難の道のりを超えて、生体力学とその神経生理的意義という未解明な分野にまでチャレンジし、ついに「学問」にまで発展したカイロプラクティック

D.D.パーマー
Daniel David Palmer
1845-1913

1885年、D・Dは「イネイト治療」の理念を追究するべく、アイオワ州ダペンポートにオフィスを構えた。それは、そのビルの管理人であり、その10年後の1995年のファーストアジャストメントの患者となる、ハーヴェイ・リラードとの運命的な出会いを意味していた。

D.Dは、この頑強な風貌と相反して、円満な人柄で、きわめて科学的な人間であった。

カイロプラクティックに至る道。

原始人類は、動物の習性に基づいて「本能的医療」を自らに施していたといわれますが、それが「経験医術」や呪術・祈祷などの「魔法医術」を経て、「医学」として体系化されてきました。そして、最も初期の医療形態の一つである整骨、背骨の矯正は、既に紀元前の古代エジプト人によって行われていたといわれています。

しかし、経験医術の流れをくむ整骨は、その治療効果は多くの人に認められながらも、技術のメカニズムを説明することができなかったために、正統医学としては認められず、近代医療の世界からは常に異端視扱いを受けてきました。

その一つのオステオパシー(整骨療法)は、バージニア州の田舎医師であっA・T・スティルが創始者といわれ、1892年にはミズーリ州カークスビルに学校を設立、カリフォルニアにオステオパシー大学を持つまでに発展したのですが、1961年には医科大学に吸収され、免許交付さえ禁止されてしまいました。そしてオステオパシーとほぼ時を同じくして、アイオワ州に徒手治療の第二の学校が出現していました。それこそダニエル・デヴィッド・パーマーによるカイロプラクティックの創世は、D・D・パーマーが病気に共通する原因とその治療法を発見したと信じた時に始まります。

D・D・パーマー(Daniel David Palmer 1845−1913)

D・D・パーマーは1845年3月7日、カナダのオンタリオ州ポートペリー(Portperry)に生まれました。彼は20歳の時に、生まれ故郷を出てアメリカに移住しました。イリノイ州ニューボストンに居をかまえたD・Dは、あるひとつのテーマに没頭していきます。

それは、ごく素朴な発想からでした。「同じ親から産まれ同じ食物を食べ、なぜひとりは強く、ひとりは常に病弱なのか」「同じ身体で、なぜある臓器は弱く、ほかは正常なのか」等など・・・・。そして、一人の独立の思想家として「イネイト(INNATE)」という先天的な人体の自然回復力を使って、薬を使わない病気の治療の方法を発展させていきました。

内臓のどこかが悪いかもしれないという時に、全身に投薬を試みる医学界の短所にD・D・パーマーは異議を唱え始めたのです。そして、脊柱の異常あるいは不整列を前提として、それが人間の神経組織に悪影響を及ぼし、病気を起こす(サブラクセーション)という「背骨の異常と病気との関係」を理論的に考察していきました。

D・D・パーマーは頑強な風貌ではありましたが、円満な人柄で、科学的な教育を受け入れた人でした。彼は痛烈なユーモアと皮肉を交えた鋭い主張をする人でした。それはむしろ、彼の個性をより一層、魅力あるものにし、多くの人々に強烈なインパクトを与えていったのです。

1885年、D・D・パーマーは「イネイト治療」の理念を追究するために、アイオワ州ダベンポート(Davenport)に引っ越し、セカンド&ブラディストリートの一角にあるライアンビルディングの4階にオフィスを開業しました。

D・Dは病気を治すのが天職であると悟り、病気の背後には共通する一つの原因がある、という考えにとりつかれて、寝食を忘れてそれを探究する生活が続いたのです。既存医療と医薬品の氾濫するこの世界の中で、それはまさしく医療界のターニングポイントでありました。しかし、D・Dが発見したカイロプラクティックというものが発展するためには、さらに長い年月を必要としたのです。

最初のカイロプラクティック・アジャストメント。

ハ−ヴェイ・リラード(Harvey Lillard)という名前は、一番最初のカイロプラクティックの患者として、カイロプラクティックを職業としている人たちにドラマチックに刻印されています。

リラードはD・D・パーマーのオフィスのあるビルの管理人でした。彼は17年以上も周囲の音や雑音をほとんど聞き取れないほど耳が悪かったのです。

1910年に初板が刊行されたD・D・パーマーの自叙伝には、この最初のアジャストメントのくだりが書かれています。それによるとパーマーは、リラードが突然、しかも奇妙なかたちで聴こえなくなったことに注目しています。「窮屈な姿勢で身をかがめたときに、何かが背中を走るような感じがして、それっきり何も聞こえなくなった」と。

1895年9月18日のことでした。D・D・パーマーはリラードの脊柱を検査している時に、脊柱の不整列の兆候である「こぶ(隆起)」を発見したのです。これが、パーマーの用語でいう「サブラクセーション」でした。

D・Dはその時のことを、自叙伝に「私は、もしその椎骨がもとの位置に戻れば、聴力が回復するのではないかと考えた。その目的を果たすために30分間話し合って、椎骨をもとの位置に戻すことをリラード氏に承諾させた」と記しています。

パーマーは診察台の上にリラードををうつぶせに寝かせ、脊柱の不整列を正そうと、両手でその椎骨にスラストを加えたのです。これがカイロプラクティックの最初のアジャストメントでした。

D・Dはこう書いています。「私は棘突起をてこを使って、そのズレを戻した。椎骨がもとの位置まで戻ると、耳はすぐに、以前と同じように聞こえるようになった。」17年以上もの間、不可能であったリラードの聴力はこの最初のアジャストメントによって街の雑踏を聞くことができたのでした。

「これは偶発的なことではない。はっきりとした目的を持ってなされたことであり、予期された結果がもたらされた。こおアジャストメントは粗雑なものではなく、スペシフィックな(特殊で限局された)ものである」とD・Dは記しています。

「カイロプラクティック」の言葉の由来。

最初のアジャストメントからほどなく、2回目の成功例がありましたが、そのときは症状がはっきりしない「心臓病」で、やはり椎骨のアジャストメントで治っています。こうして、D・D・パーマーは自分の確信を強めていったのです。そして、D・Dはこの新しい治療法の名称を探し始めました。

D・D・パーマーの患者であり、友人でもあるレバーランド・サミュエル・ウィ−ドー(Rev.Samuel.H.Weed)はいくつかの言語に堪能な学者でした。古典的な言語の知識を持つウィ−ドはD・Dの友人として、この治療法にいくつかの名前を提案しました。その中からD・Dは、最終的に「カイロプラクティック(Chiropractic)」という名前を選んだのです。それはギリシャ語で「手」を意味する「Cheir」と、「技術」意味する「Praktos」からとられたのでした。

D・D・パーマーは「カイロプラクティック」と命名された新しい発見をたずさえて、ミシシッピ−川の河岸のダぺンポートの町から、新しい時代へと出航していきました。こうして「カイロプラクティック」という新しい言葉は、1896年1月14日に誕生したのです。

ファースト・アジャストメント

カイロ創世 D.D.パーマー/最初のカイロプラクティックアジャストメント/カイロプラクティック言葉の由来1895年9月18日、ダぺンポートのD・D・パーマーのオフィスで行われた最初のアジャストメントを描いたこの絵は、カイロプラクターの間で広く頒布されている。カイロ治療で救われた四肢の不自由な患者が、カイロプラクティックへの感謝を込めて、足で描いたと伝えられる伝説の絵である。ハーヴェイ.リラードに聴力の回復をもたらした、この最初のアジャストメントは、医療の分野へ新しい学派を出現させたのである。

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カイロ創世/D・D・パーマー 
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