ラジオ体操の勧め|私のカイロ治療体験記|京都の整体「京都南カイロプラクティック研究所」 |
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現代社会が生み出した運動不足と不定愁訴 カイロプラクティックオフィスを開院して13年になる。患者さんの身体を触れる都度、その筋骨格の硬さに対し閉口していることから、現代人の運動不足をまさに肌で感じている。今回は、患者さんによくお勧めする「ラジオ体操」について私見を述べたい。 はじめに、筋骨格系の機能面を主に扱うバイオメカニクス(生体力学)という学問は、残念ながら日本の大学で講義されているところはまだまだ少ない。医学部でも講義されていないところがほとんどであろう。一般にお医者さんのイメージ像は、身体のことについてはなんでもご存知であると考えがちである。しかし実際は残念なことに、多くのお医者さんは関節の運動学についてはあまり詳しくはないのである。ゆえに患者さんもバイオメカニクスについての知識や関心がないことも当然のことであろう。 このような理由で、身体を触診あるいは動態触診した際、私が「硬い」と感じることは、何を指して硬いと表現しているのか、またそれはどのような理由によるものかをまず説明しなければいけない。 例えば、肩のあたり(上部僧房筋)を押さえて「硬い」と感じたことのある方は多いと思う。このような場合、通常肩が凝っている、つまり筋肉が緊張して硬くなっていると普通考えてしまう。勿論、筋肉そのものが緊張していることもあるが、動態触診を行うと、その肩のあたりのすこし深部にある第1〜第3肋骨辺りで、下方への正常な関節運動がみられないことのほうが実際は多い。理想的な関節の動きが少ない(下方に動かない)という感覚を、筋肉が硬いのだと、一般の方は考えてしまう。体表解剖学の知識に乏しいことや馴染みの薄い生体力学の理解がない以上当然である。 我々が日常生活で支障なく手を使ったり、身体を自由に動かせるのは、本来、関節には少し融通(正常な関節運動)がきくようにできているからである。正常な関節運動とはどのような動きを指すか、わかりづらいかもしれないが、次のようにしていただければイメージはつかみやすい。例えば、手の指の関節は、意識して指を動かそうとすると、曲げたり伸ばしたり2つの方向の動きしか出来ない。しかし、指先を片方の手で挟んでやさしく左右にまわしてみると、僅かに指先の関節が回旋するのが分る。また左右・上下にも僅かな動きを確認できるはずである。これを正常な関節運動、略して関節の遊び(joint play)と呼ぶ。 関節の遊びが正常であると、筋肉は自由に動くことが出来る。日常生活で支障なく体を動かせるのは、関節に少し融通がきくようにできているからなのである。一方、これとは反対に異常な関節の動きとして次のようなケースが挙げられる。ぐらぐらした大きすぎる動き(可動性亢進)や、かたい制限された動き(可動性減少)、遊びの消失(loss of joint play)などの関節の機能障害(joint dysfunction)とよばれる状態が存在すると、動作の際に痛みを感じたり、特定の部位にこわばった感じなど、身体になんらかの不調を覚える。 私が検査する際に用いる関節の動態触診は、脊椎、四肢の関節に、正常な可動範囲があるかどうかを調べる検査法で、多くの情報を施術者側に与えてくれる。もう少し詳しく動態触診を説明すると下図のとおりである。他動運動(自分の力で動かせない関節運動)を用いることで、自動関節運動(自分の力で動かせる関節運動)を超えた部分の関節運動を調べる検査法のことを動態触診という。 関節の可動性の減少(fixation)あれば、これは筋によるものか関節自体の制限によるかものかは、動きの質がそれぞれ異なるため容易に鑑別できるのである。勿論このような制限はどのような問題に起因するかの判断は他の検査結果と照らし合わせて判断することになる。
患者さんを動態触診することで、正常な関節運動が消失し、身体の硬い方が多くを占めている実態に、閉口することがしばしばである。どうして理想的な関節の動きからほど遠い方が多いのだろう。理由は幾つも考えられる。まず座位・立位における不良姿勢、次に食生活の変化による栄養素の不足を挙げることができる。例えばビタミンB1が不足すると細胞内でブドウ糖をエネルギーに変えることが出来なくなり乳酸が蓄積される。カルシウムが不足すると血中のカルシウム濃度が低下する為に、その分を補う為に骨中のカルシウムが溶け出してくる。その量が多いと組織中にカルシウムが増えすぎて筋肉は硬く緊張した状態になる。マグネシウムが体内に必要量あれば、このような状態は改善できるのだが、ほとんどの方は推奨される摂取量には足らないとの報告がある。 このように、身体の硬さと栄養素の不足、不良姿勢は大きく関係しているが、日常生活の中で身体を動かさないことも大きく影響していると考えられる。 昔は衣類を洗濯する際、脱水機がなかった為、両手で衣類を掴みおもいっきり身体を上下に動かして水を切っていた。風呂を沸かす為のまき割りも今から思えばよい運動になっていたのだろう。そういえば掃除の際の「ハタキ」も最近見かけなくなった。私が開院したての頃、大学で非常勤講師をされていた女性から次のようなお話をされたことを思い出した。「授乳を赤ちゃんにしていると、自分も哺乳類の一員なんだなとしみじみ実感しました。」人間は哺乳類の仲間であるが、知能が発達したことで他の動物とは根本的に違うのだと、無意識のうちに思い込んでいる人は多いのではないだろうか。 ここ数十年の間ですっかり生活の風景は一変した。暮らしが便利になったという理由だけで身体を動かす必要がなくなる訳はなかろう。人類の進化の過程を考えると、数十年の期間でヒトの身体の仕組みが環境に適応するとは思えない。加えて離乳期以降、大人になっても「乳」を飲んでいるのも人間だけで、おかしな生活習慣まで現在の暮らしに溶け込んでいる。 このように昔は特別に運動などをしなくても、生活の中で自然と身体を動かしていた為にそれでもよかった。しかし現在のように交通機関は発達し、便利な家電製品に囲まれ、ディスクワークが中心の労働となると、なんらかの支障が身体に現れても不思議ではない。余談だが、働くという漢字は、「人」が「動」くと書くが、現在の労働を考えると、その漢字の意味も相応しくないように思えるぐらい動かない。「にんべん」に「静」と改めてはどうだろう。 さて日々の臨床では、外傷や不良肢位に起因する疼痛などで来院される方が多いが、そのような症例数と同じほど、身体の各部位に関節運動の少ない方が来院される。後者のケースの自覚症状は、身体各部のなんらかの違和感・不調が主訴である。明らかに運動不足により関節運動が減少している方には、私はてっとりばやい解消策として「ラジオ体操」をお勧めすることが多い。 小学生の頃、夏休みだというのに朝早く起きて家の近くの公園へ行き、ハンコを押してもらうのが私の1日の始まりだった。夏休みも終わりになる頃、「出」という印が小さな紙にいっぱい押されているのが子供心に嬉しかった。当時、ラジオ体操に行くのは義務のようなものであり、毎日からだを精一杯動かして遊んでいたものだから、いささか退屈な体操といった印象であった。「ほんとにこんなので体操になるのかな・・・」身体の柔らかい小学生にとっては誰もが抱く想いだろう。 しかし、年をとってから、そのような先入観でラジオ体操をすると面食らう。例えば、しゃがみ込み片足の内側を伸ばす体操は、筋肉がちぎれないかという不安が一瞬よぎるほどである。(私の身体が硬いだけか・・・)このような自分の実体験が手伝っていることは言うまでもないが、ラジオ体操の真価を知るのは大人になってからである。私は人様を治療する立場になってラジオ体操の素晴らしさ、その効用を日々の臨床を通じて再確認することができた。毎日ラジオ体操をされている方は不思議に身体の柔軟性がよろしいのである。ラジオ体操はどこでもいつでも出来、本人のやる気さえあれば、継続することにより十分な成果を得られる。これをお勧めしないわけにはいかない。ではその効能を次に挙げてみよう。 まず人体のすべての筋肉と関節を動かすように構成されていることから柔軟性が高まる。次に、血液循環が盛んになることで、新陳代謝が活発になり疲労回復にも役立つ。このような素晴らしきかなラジオ体操を考案された方に感謝であるが、いったい何時どのようにしてラジオ体操は始まったのか、疑問を覚えたことはないだろうか。「ラジオ体操の誕生」黒田勇著を参考にその概略を簡単にまとめてみたい。 戦前のラジオ体操はアメリカの「メトロポリタン生命保健会社」のラジオ体操をお手本にしたもので、日本と同じように早朝に行われていた事実には驚く。この体操を滞在中に知った逓信省簡易保健局の猪熊貞治課長は、帰国後の大正一四年七月はじめて日本にこの体操を紹介した。昭和三年九月、簡易保険局を中心に日本放送協会、文部省等の協力の下に旧ラジオ体操第1を制定、同年十二月にラジオ体操のレコード完成。昭和四年二月にはラジオ体操全国放送が始まった。昭和二十一年四月には、旧ラジオ体操を中止し、新ラジオ体操(第1〜3)を制定し放送開始。昭和二十二年八月、新ラジオ体操は難しいということであまり普及せず放送を中止。昭和二十六年五月にようやく現在のラジオ体操第1が制定され放送開始。昭和三十一年三月、現在の「ラジオ体操の歌」発表。昭和三十七年三月、全国ラジオ体操連盟創設。同年十月、1000万人ラジオ体操祭開始。平成十一年九月、「みんなの体操」を制定、現在に至っている。 日本で初めてラジオ体操放送を提唱した猪熊貞治氏は、日本人の体格向上のため、「老若男女を問わず」、「誰にでも平易にできる」、「如何なる場所でもできる」ということが主な理由であった。しかし、激動の昭和史の中でラジオという新しいメディアによるこの体操は、戦前・戦中・戦後と本来の目的と異なるところで国の政策によって利用されてきたふしもある。黒田氏は、「ラジオ体操によって達成すべき健康が個々人の価値から国家的価値へと変換された」と表現している。 戦前のラジオ体操がファシズム的(戦後GHQにより嫌疑をかけられたことによる)だと形容されたにもかかわらず、戦後もまた新しいラジオ体操が考案され脈々と現在も続いているのは、体操の身体にもたらす効能が、毎日欠かさず実践している当人に自覚できるからにほかならないと考える。 ラジオ体操を非難するおそらく少数派であろう意見は次のようなものである。ラジオ体操は昭和三年、昭和天皇の御大礼を記念にしてつくられたから天皇制を象徴するものであるとする短絡的な見方。日本全国民をラジオという新しいメディアによって総動員できるから戦時下ファシズムの象徴であるとする見方、なかには早朝からラジオ体操のボリュームがうるさいなどと身勝手な意見もあるようだ。 確かに戦前・戦中のラジオ体操の目的は、健全な精神・欧米人に劣らぬ肉体を求める為の手段(国策)として薦められた経緯はあったものの、戦後は一転して西側陣営の一端を担うようになったことから、民主主義の精神を養うための手段としての位置づけへと大きく変容を遂げる。ラジオ体操がその時の政策でどのように利用されたとしても、ラジオ体操によって得られる効用は変わらないはずであり、現代社会における存在理由もまさにここにあると考える。 毎日ラジオ体操を行っている患者さんと、体操をしていないと方を比較すると、明らかに前者のほうが胸郭部や椎骨の可動性は勝っている。これは私の怠慢だが、これらを二つの対照群にわけて統計学的に有意差を見出したものではないことをお断りしなければならない。あくまで私の動態触診の検査結果による大雑把な報告である。言い訳がましいが、リハビリテーションなどで測定する関節可動域の検査とは異なり、椎骨可動性は非常に小さく、体格や年齢、性別などでも異なる。このような理由で、ほんの僅かな動きであるJoint Playをout putして計測することは困難であるが、施術する側の指先には明らかな違いとして検出される。その小さな可動性にでも異常が現れた場合、疼痛の発生やなんらかの違和感を訴えるようになるから厄介である。にもかかわらず、骨組織や周囲軟部組織等の病理学的変化でもなければレントゲン検査をしても異常としてとらえられることはないのだ。 さてラジオ体操以外で、理想的な関節運動が回復できる運動にはどのようなものがあるだろう。私が思い浮かぶのは水泳(クロール、背泳)だ。しかし残念ながらスポーツクラブに通うことができる層は限られている。まず時間・経済的に余裕がなければならないことが、運動をしたい人達の大きな壁になっている。 スポーツという言葉の語源は、ラテン語のデポラターレで、「レジャー」や「余暇」を意味することから、本来は「ゆとり」を前提として行うものであるようだ。小学校の教頭先生をされている女性の患者さんは、「先生、仕事に疲れて帰宅すると今度は夕飯の仕度などの家事が待っている。とてもとても運動なんて出来ませんわ。」どうやらジェンダーの視点からすると、「ゆとり」なんぞは休日でもないと望めそうにないのが実態である。 欧州には深夜まで利用できる非営利のスポーツクラブが多く存在するので、スポーツをする際の「前提条件」がなくても利用できるところが羨ましい。それは日本で見かける営利目的のスポーツクラブとは随分と事情が異なる。欧州のスポーツクラブの役割を知ると、その差はいったい何時どのようにして生じたものか興味が湧いてくるかもしれない。次に簡単に説明しておこう。 欧州のスポーツクラブは、一部の専従スタッフを除いてはほぼ全員がボランティアでクラブ運営にあたっており、地域住民の生きがいの場となっている。子供達にとっては社会教育の場となっており、体育の授業は理論中心で、その実践はスポーツクラブで行うというから驚きである。女子マラソンのクリスチャンセンは幼少のころから通っていたスポーツクラブで後進の指導にあたっているが、そのような姿は地域住民の誇りともなっている。また予算の10%もスポーツ振興にあてるところもあり、クラブが地域の活性化につながった事例もある。日本の貧弱なスポーツ予算、「箱モノ」「イベント」オンリーのスポーツ行政の実態を知ると呆れるばかりであり、公共施設を有効に利用している欧州のクラブから学ぶべきところは多いと思う。 現在、わが国では全国1万箇所の総合型スポーツクラブの設置を、財源をサッカーくじの利益に頼りして目指しているようである。しかし、その売上金から当選金(50%)と経費(15%)を除いた収益(35%)のうち、国庫納付金と自治体への割当金として3分の1ずつを差し引かれ、肝心のスポーツ団体へは、11.7%しかまわされないということである。国家の新たな財源確保と同時に、またもやお金の行方は不透明なものとなるのではないかと疑問が残る。 「箱モノ建設」は日本の行政のお茶芸であることから、欧州のような地域に根をおろした総合型スポーツクラブの設置を早急に期待するのは困難であろう。スポーツをしている時のように、それ自体を楽しむとまではいかないが、費用もかからず何時でも何処でも出来るラジオ体操が、身体の柔軟性・新陳代謝を高めるという点において、やはり最も継続しやすい運動ではないだろうか。あとは毎日の姿勢と食生活を見直すだけで、柔軟な身体を取り戻せることが出来ると、私の臨床経験から確信している。唯一残念に思うことは、一人で行うラジオ体操は、「地域住民とのコミュニケーション不足」=「希薄となった人間関係」の解消策に成り得ないところである。 参考文献: 「ラジオ体操の誕生」黒田勇 |
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