木々の芽がつん、つん、と空を仰ぎどこからか沈丁花の匂いが流れてくる頃ともなれば、私は、ああーやっと「風邪」から逃れたと思う。これは過去の冬越しの想いであった。
私の幼年期、少女期は両親と離れ住んで、祖母の溺愛の中で育った。
良く言えば「かすみ草」のように弱々しく、悪く言えば全く骨無しのような青い顔をした女の子であった。とにかく冬中「風邪」をひいているようであった。
雨に濡れるとすぐ熱が出る。幼稚園はおやすみばかり。雪でも降ろうものなら一日中祖母と「炉燵」の中で過ごす。なぜか三毛猫が常に側で喉を鳴らしていた。
祖母はそんなとき、よく言ったものだった。「寝るほど楽はなけれども起きて働く馬鹿がいる。ホイ。ホイ。」と。私は待ってましたと「寝ましょ。寝ましょう。」と、合の手を入れる。祖母と私は布団の中にもぐりこむ。祖母の手はゆっくりと私の上を撫でて肩を揉んでくれる。私はうつら、うつらと、窓越しに雪を見ていた。雪の中で近所の子供達と遊べないひ弱な子供であった。
その祖母が私の14才の春に、69才の生涯を終えた。
突然放り出された恰好で私は両親の元に戻ったが、もう其の頃は「立派な肩凝り症」になっていた。
幸か不幸か両親の商売が「ホテル」業であったため、マッサージの人が出入りしていた。三日にあげず私は肩を揉んで貰うが、口内炎、鼻詰まり、腰痛と長い間苦しんできた。そんな折に友人が「カイロプラクティック」の荒川先生を紹介して頂いた。
最初、ただ肩の凝りだけなのに、なぜ?と思うほど丁寧な問診があった。今迄のように肩の筋肉だけを揉む、というより全身の骨格の隅々まで先生の治療の力が喰い込むようで悲鳴をあげつつも。治療後はすっきりとした気分になる。体力が蘇生したように晴ればれと鳴る。
元々細身の体であったが少しずつ体重も増してきた。
ドアを押し、治療室に入ると静かな音楽が流れている。それだけで私は精神的に落ち着き、素直な気持ちになれる。今年の冬は二回程、鼻詰まりになったくらいで過去の「風邪の高熱」とはおさらばである。
長年親密にして頂いている私の菩堤寺の住職の奥様は
− 心は菩堤寺に、体は荒川先生に、貴女はいいねぇ − と、言われた事を折にふれ、思い出す。
紹介して頂いた友人に感謝しつつ、これからも荒川先生、助手の皆様にお世話になる事と思います。
日々古りぬ現身野辺の春菜つむ 沙美