こんにちは。毎週土曜日、京都南カイロプラクティック研究所でアルバイトをしているkatayamaと申します。
この春、就職を機に京都南カイロを卒業することになりました。
2012年の春から今まで、多くの方々にお世話になりました。
先生にはいつも優しくご指導いただき、体調のことや姿勢のことなど、しばしば相談にのっていただきました。また、スタッフのみなさんとは、勤務中も、お昼休みも楽しく過ごすことができました。
そして、患者さん方とは、超音波の施術の時や、受付の時にいろんなお話をすることができ、貴重な時間となりました。時には励ましの言葉もいただき、とても嬉しかったです。ご迷惑をおかけすることも多々あったかと思いますが、皆さんいつもあたたかく接してくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。
また、働くなかで姿勢や栄養などの知識も増え、患者さんとともに姿勢を意識したり、食べるものに気をつかったりするようになりました。こうしたカイロでの経験を活かし、今後も元気に充実した毎日を過ごしていきたいと思います。ありがとうございました。
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さて、先生の勧めで、私も大学生活での経験をお話したいと思います。
フィンランドに単身渡り、2週間ホームステイをしながら、現地の学校で子どもたちに日本の社会・文化を教える活動をしてきました。おととしの9月のことです。海外渡航は初、英語力はイマイチ、森で迷子になる、などいろいろあったものの、とても濃い時間を過ごしてきました。
私が滞在したのは首都ヘルシンキから約100km北上したところにある、Iittala(イッタラ)という小さな町です。日本でもガラス製品、陶磁器のブランドとして知られている[iittala](イッタラ)の工場があります。 1年生から9年生まで300人が在籍する小さな学校で「日本からのゲスト」として授業をしてきました。このプログラム、現地で何を教えるかは自由です。「子どもたちに日本に興味を持ってもらおう」と意気込んで取り組みました。日本で練ってきた教案を携え、現地では授業前に先生方の要望とすり合わせます。全クラスでやりました。授業の進行は私がメインで、各クラスの担任の先生が補助役をし、時おり助け舟をだしてくださる形で進みます。
スライドでの日本紹介をメインに、いろんな活動を行いました。少し紹介します。
【お好み焼き作り】・・・初めは、キャベツこんなにいれるのかよ、と微妙な雰囲気でしたが、作って食べた後は好評でした。
【折り紙】・・・鶴はやや難易度が高かったようです。
【名前を日本語で書いてみる】・・・無理やりカタカナにおこします。
【習字】・・・「友」という字と自分の名前を書くという内容です。下敷きに日本の新聞紙を使ったのですが、子どもたちは途中からその新聞紙に書かれた文字に興味をもちはじめ、楽しそうに書いていました。「版」という漢字を指して、これはどういう意味?と聞かれたときは困りました。
こんな感じで、いろいろしました。
また派遣先の学校の先生の授業を見学させてもらうなかで印象的だったことがあります。(フィンランドのすべての学校がこの通りかどうかは分かりませんが、)それは、
・積極的なこどもたち クラスは少人数でした。授業では子どもたちが積極的に手を挙げ、発言します。また、調理実習などではどのグループも、なにもせず突っ立っている子はほぼゼロ。個々人が役割分担して動いている印象を受けました。
・自主性を大切にする先生方の指導とポリシー 先生方はあくまでもこどもたちの自主性や個性を重んじます。悪さをしても叱ることはほとんどなく、諭す、といったイメージです。私の感覚からすると、「あれ、ここは叱らないのか…?」と思う場面が多々あり、自分が経験した日本の学校との違いを感じて、面白いなと思いました。そして先生方はそれぞれ個性的であり(ファッションも)、教育に関してポリシーをもっておられました。子どもたちのことや、教育のことについてお話を聞いてみると皆さん熱心に語ってくれます。
・カフェのようなTeachers room 職員室は、休み時間に先生方がコーヒー片手に談笑したり、打ち合わせしたりするカフェのような空間です。ソファやおしゃれな丸テーブルがおいてあります。お菓子もいっぱいありました。手作りのお菓子を持ってくる先生も。日本から持参した柿の種とチーズアーモンドせんべいを差し入れると、「柿の種はコーヒーに合うネ」と喜んでいただきました。本当でしょうか。
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休日にはホストファミリーとともにいろんな街や動物園へ出掛けました。日本のアニメが好きでコスプレが趣味のホストシスターにつれられ、JAPANMANGAコスプレフェア (!) なるものにも行きました。サブカルに疎い私にとっては馴染みのないキャラクターが多かったですが、(--;) クオリティの高さにとにかくびっくり。日本の文化が愛されているんだなぁと嬉しく思いました。
また、街のひとたちとも交流しました。道行く人に挨拶してみたり、公民館にお邪魔してお茶したり、おうちに呼んでいただいたり... あっというまの2週間でした。
素晴らしいホストファミリーはじめ、皆さん、日本からやってきた学生にとてもやさしくしてくださり、感謝感謝です。
街も人も魅力的なフィンランド、みなさんも機会があったら訪れてみてください!
はじめまして。昨年6月よりアンジュー京都南カイロで働かせていただいています、松田です。早いもので1年半が経ちました。
私は今大学の音楽学科で声楽を専攻しています。小さい頃からバレエも習っていて、宝塚歌劇団が大好きです。大学では1、2回生の頃は一般教養も多く履修していましたが、3回生からは音楽の専門分野の履修のみとなりました。自分の専攻実技のレッスンの他に合唱や楽曲分析、和声法、対位法、声楽研究…など音楽だけでもたくさんの授業があります。
その中でも、私や他の声楽科の生徒が今1番力を入れている授業が”オペラ”です。この授業は3回生から履修しています。オペラは実は授業を受けるまでなんとなく苦手意識をもっていました。 言葉も違うし眠くなりそうだなーと(笑)でも実際に履修してみると、音楽がクラシックなことと、セリフにも音がついているだけで、いい意味でミュージカルと大差はないことがわかりました。
普段は基本的に直立で歌を歌っていますが、オペラでは役と歌に合わせて細かい動きをつけていきます。実際にどうやって授業をやっていくのでしょうか?
まず最初はお題に合わせてパントマイムをやることから始めました。みんなが見てる前で演技をすることが恥ずかしくてなかなかできない人が続出…。そこから、前期は2人1組でペアになって課題曲の2重唱に動きをつけていきます。同じ曲なのにペアによって考えてくる動きが様々で面白いです。
先生からは舞台上での魅せ方(体や足の向き、歩き方、表情)の指導を受けました。前期で少しオペラというものに慣れたら後期はまた新しいペア、新しい曲で勉強していきました。
そして1月にお客様の前で発表をします!ここまでが3回生の授業内容です。4回生では3回生の内容をもとにさらにレベルアップして2月に卒業公演としてオペラ「フィガロの結婚」を上演します。これは全4幕、3時間の超大作で女性キャストは5役なのですがそれを16名でわけあって1年かけて作っていきます。この公演は今年28回目をむかえ舞台セット、衣装、照明などを使った本格的な舞台になっています。
前期最後の授業でオーディション→配役決定→夏休みから授業時間外にもたくさん練習をしてきました。このような大作を作ることは本当に大変だとしみじみ感じています。
まずオペラの内容を深く理解して、そこから自分の解釈にそった演技を構成していきますが、普通に直立して歌うのとは考えると、演技がプラスされるのでやらなければならないことが何倍にもなります。おまけに伴奏はありがたいことにオーケストラ!なのですが、その分オーケストラと対峙できる声量、テクニックが必要にもなります。私の出演時間は15分ほどですが、それでもいっぱいいっぱいです。これから2月の本番に向けてみんなでラストスパート…です!!!
声楽は自分の体が楽器です。先生によると実はカイロプラクティックとも大きく関係があるようです。例えば胸郭と横隔膜を例に取り上げてみます。
声楽は腹式呼吸ですので横隔膜を動かすことが大切ですが、胸郭の可動性が固い状態、つまり肋骨下部の関節の動きが悪いと、胸郭下部が広がらないので思うように声が出なかったり、息が続きません。
患者さんのなかには音大や音大大学院を卒業されて華々しく活躍されている方々も来院されていますが、京都南カイロで働いているとその理由がよく分かりました。
栄養面からは、マグネシウムが歌を歌う筋肉と関係があるようです。マグネシウムは筋肉の働きを調整する役割があるようなので、マグネシウムを摂取することで声帯の緊張が柔らぎ声が出やすくなるそうです。アメリかでは、このような効果を期待して公演前にマグネシウムを摂取する声楽家もいるようです。
そんな普通の人とはちょっと違った学生生活を送ってきた私ですが、3月で学校とアンジューも卒業です!試験や発表会の本番前は休ませていただくことも多く要領もよくなかったので先生や同じアルバイトの方山さんにはご迷惑をおかけしてばかりでしたが、いつも優しく指導していただき本当に感謝しています。患者さんともこの1年半で超音波のときなど楽しいお話ができました。またアンジューで働くことによって今まで自分が知らなかった知識が増えたこともこれから歌を続けていく上での大きな収穫です。ありがとうございました。
1年半アンジュー京都南カイロでお世話になりました松田です。卒業にともない,アンジューのアルバイトを退職し,斎藤さんに引き継ぐことになりました。斎藤さんへ少しですがメッセージを送ります(*^_^*)3回ほど一緒にお仕事をさせてもらいましたが,とてもしっかりしていて,またいつも笑顔で可愛らしくて素敵な方だなーと思っていました!覚えることがいっぱいでまだまだ慣れないとは思いますが,斎藤さんなら大丈夫です!私は患者さんや先生とのお話しで,健康に関する知識が増えて,前よりも自分の身体に気をつかうようになりました。斎藤さんもアンジューで働くのを機に健康や身体に関する知識を一緒に学んでみてください。応援しています!またお会いしましょう(⌒▽⌒)
「近所の店でのプチ歓送迎会写真」。斉藤さんが帰られた後、「忘れてた!」と慌てて店のスタッフに撮ってもらった写真。カメラの設定がオートになっていなかったので、残念ながらこの写真が一番クリアでした。
かたやま 京都南カイロでお世話になったkatayamaです。私も同様にメッセージを書かせていただきます。新しいスタッフの齊藤さんとは2度一緒にお仕事しました。可愛らしい雰囲気に癒されるとともに(!)、仕事の飲み込みの早さに驚きました。松田さんも書いていた通り、しっかりしていて素敵な人だと私も思います!今後すこしの間スタッフ一人になってしまうけど、体に気をつけて、齊藤さんらしくお仕事がんばってください(^^)/
松田さん、katayamaさんお疲れ様でした! 少しの間でしたが、本当に親切に丁寧にたくさんのお仕事を教えていただきありがとうございました!休憩のときなどは、サークルや卒業旅行のお話をしてくださったりと楽しい時間を過ごさせて貰いました!まだまだ至らない点が多々あると思いますが、教わったことを活かして頑張ります!4月から大変なこともあると思いますが、お仕事頑張ってください!本当にありがとうございました!そしてお疲れ様でした!
katayamaさん、松田さん、ご卒業おめでとうございます。最後にお会いできなくて残念でしたが、これからも頑張って下さいkatayamaさんとは、一緒に働いていた時期もありましたが、とにかく覚えるのが早く、記憶力がよく、頭の出来が違うなぁ、と感心していました。松田さんとは、皆でお食事に行くときにしか会わなくて、なんだか飲み仲間みたいに(笑)なっていましたが、可愛らしくて職場の雰囲気にぴったりだな、と思っていました。お二人とも、素直で賢いので、きっと素敵な社会人になられることでしょう。いつか、またお会いできたらいいですね。 齊藤さんとは、これからも時々一緒に働ける日があると思うので、そのときは宜しくお願いします。
(2015.3.19)
今日のお昼は、在庫が少なくなった「野生ラベンダークリーム」づくり。
治療所のお庭には、つい油断すると雑草がにょきにょき生えてきます。花柄や花弁とりも大事なお仕事です。夏が近づく頃は、肌も露出していますので蚊に刺されやすく、お庭のお掃除も大変になります。
こんなときに、野生ラベンダーでつくるこのクリームは「虫除けクリーム」として、とても重宝します。蚊にさされたあとの、かゆみの治まりかたの即効性にも驚かれます。もちろん、肌や唇の荒れやかさつき、やけど、打撲にも有効なので、たいへん人気があります。
耐熱ビーカーに蜜蝋とキャリアオイルを入れ湯煎してクリームの基材をつくり、瓶に移します。熱がとれたところで野生ラベンダーの精油を加えると完成です。皮膚の再生能力を高める為に「システ」を入れることもあります。
ところで、この「ラベンダー」って、いったいどんなラベンダーかご存知ですか?
最も馴染みが深く、アロマテラピーに欠かせない精油の一つがラベンダーです。ラベンダーは薬効の範囲が広く、危険性が少なくて使いやすい精油ですが、精油の原料となるラベンダーは学名で分類すると数種類あり、性質も異なってきます。
野生ラベンダーはフランス・プロバンス地方の標高1800m以上の高い岩山に生えています。ところどろに少しずつ生えており、収穫に手間がかかるため量産は難しく、精油の値段もラベンダーの中では最も高いものです。
この貴重なラベンダー野生の成分構成は、栽培種では再現できない微妙で特異なものです。最先端のアロマテラピーでも、何を使ったらいいのか分らないときにはとにかく野生ラベンダーを使えといわれるくらい様々な薬効を持ちます。ラベンダー野生には毒性がほとんどないので、免疫力が低下している人でも安心して使用できます。ただ、量産できないラベンダー野生は供給が需要に追いつきません。また、高価なために日常的には使用しにくいという難点もあります。
そこで、ラベンダー野生の代替品として使われるのが、標高の高い地域(800〜1100m)で栽培れたラベンダーです。これは、「ラベンダー有機栽培」「ラベンダー指定栽培」などの商品名で販売されている、通称名が真正ラベンダーの精油です。特徴的な成分は酢酸リナリルとリナロール。標高が高いほど酢酸リナリルの含有量が高くなる傾向があります。
野生のラベンダーと800〜1100mで栽培されたラベンダーの酢酸リナリルの含有率は限りなく近く、ラベンダー野生と真性ラベンダーの品質を見る場合、この酢酸リナリルの含有比率がリナロールのそれよりも高いほど良質であるといえます。リナロールのほうが多いものは避けたほうがいいでしょう。ラベンダー野生の標準的なリナロール含有率は20から30%です。これよりも高いものは、たとえ野生のラベンダーを原料としていても、標高の低いところで採集されたか、蒸留が適切に行われなかったことを示しています。
*ラベンダーの効能*
抗痙攣作用 気分安定作用
抗菌作用
抗炎症作用(皮膚に対する)
皮膚細胞再生作用(火傷,切り傷,擦り傷,挫傷,皮膚の炎症やアレルギー,湿疹 他) 鎮痛作用(筋肉を和らげる)
通経作用消毒作用
デオドラント作用 etc…
(参考文献:アロマテラピーへの招待)
玄関には,虫の嫌いなシトロネラやゼラニウムなどの天然精油の香りで防衛しているのですが、扉の開閉とともに侵入してくる蚊。
室内で農薬を撒くのも不自然なので、ケミカルの殺虫剤は置いていません。しかし、施術中は素肌の露出部分が多くなるので、大切な患者さんが刺されてはたいへんです。
そんなとき蚊を撃退してくれるのが「ゴーストバスターズ」ではなく、治療室の「モスキートバスターズ」です。
グリップにスイッチがあり、押すとネット部分に静電気が流れるので、薬も使わずに退治できます。使い始めてもう10年近くなりますが、これからしばらくの間は手放せません。
豪雨から一転、京都市内は「五山の送り火」以降、青空が広がり厳しい残暑に見舞われています。
朝に干した洗濯物がお昼休みの時間にはもう乾いているくらいの強烈な日射しです。チャンスとばかり毎日せっせっと洗濯に励んでいますが、幸いLAUNDRESSのエッセンシャルオイルの優しい香りに癒され、さほど苦とは感じていません。
患者さん用のお着替えは、直接肌に触れるものなので下着と同じですね。
洗剤や柔軟剤に含まれる人工の香料(合成香料)は、アレルギーを起こす可能性があるので、患者さんのためにも避けるようにしています。
LAUNDRESSのファブリックケアは生分解性。洗ったあとの排水は分解されて自然にかえります。また動物実験を行わず、人や動物たち、地球に優しいところも気に入っています。
ただ少し高価なのが辛いですが、もとより合成香料や動物実験を肯定する主張には迎合できないので、この価格帯も素直に受け入れています。そして今までの室内の香りがプロバンスからNo.247(NYオフィス)に変わりつつあります。(しばらくの間)(*^-^)
(2014.8.24)
この度、結婚することになり京都南カイロプラクティック研究所を退職させていただくことになりました。今まで本当にお世話になりました。
先生をはじめ、スタッフの皆様にはもちろん、本当に良くしていただいた患者様たちに、感謝の気持ちでいっぱいです。
最初、こちらで働かせていただくことになったときは午前中だけの勤務でしたが、その時から数えると、6年と3ヵ月が経ちました。趣味で続けていたクラシックバレエの先生から、1つ教室を持ってほしいということで、滋賀県の水口まで週1回通うことになったのも、ちょうど同じ時期です。1年くらい過ぎたときに常勤として働かせていただくことになりました。
常勤で働くとなると責任もありますし、またバレエのほうも、生徒や後輩に発表会の振付けの音楽を探して振りや構成を考えたり、衣装を考えたり、自分自身の練習もしないといけないし…。すごく忙しい生活が始まりました。
1日の時間が24時間じゃ足りないと思うような生活をしながらも元気に過ごせてきたのは、先生の指導のおかげです。
私は、子どものときから喘息があったのですが、アレルギーの改善にいいということで先生から亜麻仁油を勧めていただき、今ではすっかり治ってしまいました。また、健康の維持と減量のためには栄養バランスが大事だということでマルチミネラルビタミンもずっと摂っています。
喉や鼻の調子が悪いときは、薬を飲むのではなく、イムネオール(風邪予防などのエッセンシャルオイル)を体にぬったりマスクにつけて過ごし、風邪をひいてしまいそうなときには、ビタミンCをたくさん摂るようになりました。
おかげさまで、この6年間、風邪などで仕事を休んだことはありません。
また、数年前に足首の靭帯を切るという怪我をしました。それに、昔から腕の脱臼癖があり、バレエのレッスン中や日常生活で今でもよく亜脱臼になります。そのときは、いつも先生に助けてもらい、テーピングの仕方や自分での治し方なども教えていただき、本当に助かりました。今年まで、バレエを現役で踊ってこられたのも先生のおかげです。
超音波などの施術中にも関わらず、映画や演劇、バレエやフィギアスケートの話しで盛り上がり、時には大笑いしてしまうこともありました。その他にも、私の知らない世界のお話も沢山聞かせていただくことができ、とても勉強にもなりました。
ときには、お菓子などをいただくこともあったり、私がひとり暮らしをしていたときには、生活の足しに、と野菜やお寿司などをいただいたり…。更に、私のバレエの発表会に、わざわざ観に来て下さった方もいらっしゃいます。
患者さんとの思い出を思い返すと、書ききれないくらいたくさんあり、今こうして文章を考えていると涙が出てきそうです。
今まで学んだ様々なことを、これからの人生に活かしていき、今まで以上に元気に楽しく暮らしていこうと思います。
2012.10.20.
昨年までアンジューでスタッフとして活躍されていた臨床検査技師の先生(ヨッシー)が、フラックスオイル購入をかねて、今日久しぶりの登場です。出産のために退社されたのですが、毎週毎週お腹が大きくなってきて、退社される頃には制服がはちきれそうになっていたのを覚えています。
その頃お腹の中にいた赤ちゃんを連れてきて下さいました。産まれて3か月くらいだそうです。まだ本当に小さくて可愛かったです!!
お母さんが毎日フラックスオイルを摂られているからでしょうか。すごく元気が良くて、お肌も光っているようにツルツルでした。まだ3か月なのに、ぐずることもなく、明るいとても賢い赤ちゃんでした。
ヨッシーのお話しによると、この前フラックスオイルがなくなってしまったので数日摂らなかったら、すぐに風邪ををひいてしまった、とおっしゃってました。フラックスオイルを摂っていると、やはり体調がいいそうです。お肌の調子も良さそうでした。
『医者も知らない亜麻仁油パワー(医博D・ラディン、C・フェリックス 共著、今村光一 訳)』には、次のようなことが書かれていました。
「成人と同様に胎児も自分で脂肪を造れるが、成人同様に必須脂肪酸は造れない。胎児は必須脂肪酸は母親からもらうよりなく、母親はそれを食物とか自分の組織の中の蓄積から取るよりない。
母親に必須脂肪酸がひどく不足しては、胎児は自分の脳の働きに必要なだけの必須脂肪酸を得られない。また、胎児も乳児もアルファ・リノレン酸からEPAやDHAは造りにくいので、妊娠中の母親と子どもにとっては魚や魚油がとくに重要なものになる。」
「妊娠の最後の時期と生後一か月の間に、子どもの中枢神経システムは加速度的に発育する。だからその発育のために必須脂肪酸を大量に必要とする。」
妊婦や新生児の母親は、オメガ-3の必須脂肪酸の多い油を補わなければならない理由を読むにつれ私も将来は・・・と心に誓いました。ヨッシーの赤ちゃんは本当に恵まれています。幸せです。お母さんに感謝!!です。
私もいつか、妊娠・出産を経験するようなことがあれば、フラックスオイルを継続して摂ることで、子ども発育期の貴重な時間に、十分な栄養を与えられるよう意識していこうと思います。
2011年5月
こんにちは。今年の3月からこちらの研究所でアルバイトとして働いています坂本といいます。現在は府内の薬学部の6年生で、平日は大学に行き土曜日は京都南カイロプラクティック研究所でお世話になっています。
先生から「医療系の大学に通っているので、そのことを踏まえて書いてみては」とお話を頂いたので、私の通っている学部のことを含め少しお話したいと思います。
私の入学した年度から、薬学部は6年制になりました。大まかに言えば「臨床現場により専門性に長けた薬剤師の育成を」という目標で移行したようでしたが、実際入学してみると大学側もどうしてよいのか判らず、手探りでカリキュラムを組んでいる状態でした。
6年後の現在、私含め同学年の仲間も就職活動の真直中ですが、やはり4年制時に比べ製薬会社の研究や開発よりも、CROや調剤薬局薬剤師などより患者さんと近い職場の方が就職が決まりやすい傾向にあるようです。私自身も現在病院もしくは薬局で薬剤師として働くことを希望していますが、もともと人見知りをしてしまう性格なうえ、大学でも同年代の仲間と話すことがほとんどだった為、実務実習で実際に病院に行った際患者さんとのお話の仕方が判らず困ってしまった経験がありました。ですのでこちらの研究所で働かせて頂き、常に患者さんとお話できる環境にいさせて貰えることはとても有意義に感じています。
荒川先生とスタッフの小島さんはお二人ともとても優しい方で、要領の良くない私にも毎回親切に指導して下さいます。また先生に「よく足を捻挫しやすい」と相談をしたところ、空き時間を利用してすぐに診て下さいました。今では立ち方・座り方・寝方・歩き方など、ふだん見過ごしやすい生活習慣を見直し意識し、私もいらっしゃる患者さんと同じように日々奮闘しています。
私の専攻する薬学はどうしても病に掛かってからの対応に視点が向きがちですが、これからは医療従事者となる私自身も健康体で仕事に向かえるよう、少しずつですが努力していきたいと思います。これからもよろしくお願いします!
2011年6月
今年の3月に同志社大学を卒業し、東京の広告関係の制作会社に就職するために引っ越すことになり、京都南カイロも辞めることになりました。働き始めてまる2年・・・早いです。カイロプラクティックだけではなく、アロマテラピーや姿勢・栄養などいろいろなことを学ばせていただきました。昔からめったに風邪を引かない元気な身体でしたが、肩こりと花粉症にだけはずっと悩まされていました。先生からはカイロプラクティックトライアングルの3要素である「精神」・「構造」・「栄養」の大切さを教えていただきました。この3要素を毎日気をつけるようにしていると、背中の後に感じていたおもりが少しずつなくなってきたと感じています。
一つ目の要素である‘構造’とは、骨盤のゆがみや肋骨の位置など骨格の健康のことです。私はコンピューターに向かい作業していると、すぐ猫背になってしまいます。姿勢の管理ができていないようです。このような理由で肩こりから痛みを感じたときには、マッサージやストレッチをしたり、構造的な原因で痛みが悪化するのを自分で改善したり予防するように努めています。
二つ目の要素である‘栄養’については、”We are What we eat.”と先生がいつも言われているように、「毎日の食事で私たちの身体はつくられていること」の大切さを知りました。料理も少し食材に凝ってみたり、栄養を摂りやすく安全な調理法を使ったりと少し手間をかけるようになりました。フラックスオイルのドレッシングで食べるサラダは毎日のメニューとなりました。しかし、食事だけではどうしても補えない栄養素を摂るために、サプリメントも飲んでいます。食後のマルチミネラルビタミンと食品添加物のティートリーを飲むことは、肩こりと花粉症である私の大事な日課となりました。
最後に、三つ目の要素である‘精神’面のアプローチとして、アロマテラピーを利用しています。例えば野生ラベンダーは酢酸リナリルの量が多いことから、その芳香分子が嗅脳から大脳そして視床下部へ伝わり、リラックスする脳内物質が分泌されます。ストレスを感じる時などはとても重宝するセルフケアだと思います。院内はこのような香りで包まれているので、患者さんへのリラックス効果に一役かっていることだと思います。治療院の仕事の中では、アロマオイルのトリートメントが一番好きでした。それまで、部活動でトレーナーなどしていた経験はあったのですが、特に勉強したわけではありませんでした。アロマの精油の効能や筋肉やリンパなどを勉強させてもらいながら、トリートメントに取り入れていくようにしていました。はじめは力の加減が分からず、患者さんにご迷惑をかけてしまうこともありましたが、トリートメント後に患者さんから「気持ちよかったです。ありがとうございます。」などの声をいただいたときは、とても励みになりました。
治療以外では、私のように大学生のスタッフも多かったこともあり歓迎会や忘年会などで先生に御池周辺のおいしい食事処を連れて行っていただきました。松坂牛(M’s)やフォアグラ(Alice)を食べたのも人生で初めてでした!それ以外にも串かつ(ぼて)、うどんそば(助六)など、再び自分で食べに行ってしまうほどおいしかったです。先生や奥さん、同じアルバイトの皆さんとともに、楽しい時を過ごす事ができ、とてもよい思い出として残っています。
患者さんにもご迷惑をお掛けしてしまったことも多くありましたが、この2年間、治療室で働きながら勉強させていただき、本当にありがとうございました。治療室で教えていただいた健康生活をこれからも是非続けていきたいと思います!!
追記:
私は、昔から足がだるくなりやすく、自分自身でも歩き方がおかしいなと思っていました。特に右足裏の外側の肉厚が薄く、足が着地するときに外側に傾いてしまうと感じていました。長時間動いていると、右の股関節がしびれて痛くなり、時々動けなくなることもありました。そのため、ファイテンのチタンの含まれたテープを張ったり、ジェルを塗ったり、チタン水を飲んだりなどして、痛みが酷くなるのを予防していました。また、足のだるさだけではなく、肩こりや腰痛がひどく、最近では、仙腸関節が痛くなり、寝るときに湯タンポのようなもので温めて寝ているほどでした。
大学卒業と同時に治療室を辞めることになったので、初めて先生に体の状態を診ていただきました。まず最初の立位検査だけで先生はすごく驚かれていました。膝関節は過剰に伸展していて膝から下の部分が内側に捻れ外側に倒れていました。普段見慣れた自分の足ですが、先生の拳がたてにして楽々入る膝下の隙間は、治るものならよくしたいと思いました。しかし先生の立ち方の指導を受けただけでその隙間がなくなりました。膝から下がくっついたのです。正しい立ち方だけでこんなに変わるなんて不思議なものですごく驚きました。
次に足の痛みの原因を調べていただくと、前足外反変形という足のかたちをしている事が分かりました。人間は歩行時の足を着地させるときに、足の関節をロックさせるようになっています。正常な人は、水平に足指がならんでいるのですが、私の足はロックさせる関節面が外側から分からないけど変形していて、足指の並び方に角度がついているそうです。外側がそのため、立つときに親指に重心をかけなければならないのに、足の外側に重心がながれてしまうのです。足が着地するときに傾いてしまうと感じていたのは、それが原因だったのです。本来は体重や地面からの衝撃を緩衝させるための足のアーチが全く機能しておらず、膝から下の筋肉の外側が慢性的に伸ばされている状態でした。
また、骨盤がゆがんでいる事もわかりました。左の腸骨が上にあがりそして後方にすこし回転し、右の腸骨はその逆の形で捻れたような状態になっていると関節模型で教えていただきました。治療後は全く力が入らなかった足の筋力が正常になりました。また左右で立ったときのバランスの悪さも改善されていました。
私は腕の力も胸郭部の機能的な問題で全く入りませんでしたが、足と同じように筋が抑制を受けていたようです。タイに行ったとき、トレッキングについていけなかったのも当然のことと分かりました。今は筋力モリモリで、あんなに辛かったトレッキングですが、再チャレンジする日が楽しみになってくるほどです。
(2008年2月)
サワディーカップ(こんにちわ)!!9月に3週間のタイ旅行に出かけました。バンコク、アユタヤ、スコータイ、チェンマイ、サムイ島の5か所を周る3週間の旅行です。安宿での宿泊、バス・電車移動でツアー旅行では見れないようなタイの日常も近くで見ることができました。
バンコク(到着日)
バンコクのスワンナブーム国際空港に着きました!夜中の12時だったので、とりあえず、空港のベンチで睡眠をとりました(笑)。そして、朝起きて、空港バスに乗ってバンコクの中心部に移動しました。タイのバスは、止まる場所を放送しないので、気をつけることと、大きな荷物を持ちながら、バスや電車をおりた後は、タクシーの運ちゃんが集まってきて、がんばってだまそうとしますが、絶対ついていかないで下さいね。私は、途中変なところで下ろされました・・・。
いくつかのトラブルもありましたが、タイ政府認定(T.A.T)の旅行会社に行き、そこで3週間の宿と都市間の移動代を予約しました。個人のパック旅行のような感じにはなりますが、探す手間が省けるので、時間を短縮できますし、わからないことがあれば電話して聞くことができるので安心です。次の日は、いよいよアユタヤへ出発です!
アユタヤ(2日間)
アユタヤは、バンコクから電車で1時間半のところにある都市です。バスと同じく、電車もどこについたか放送しないので、アユタヤらしい駅でチケットを駅員さんにみせて確認していました。
タイではタイ語ができなくてもあまり困ることはなかったのですが、このときだけは駅の表記がタイ語のみで読めむことができず、さすがに困りました。自分の勘と時々車両をまわる駅員さんに尋ねながら、降りる場所を確認し、やっとアユタヤ駅に着きました。電車から降りると予想通り、タクシーのおじさんたちが一斉に集まってきました。旅行会社が手配してくれたゲストハウス(安宿)までの迎えを待っていると、その中に私が「また勧誘か・・・」と軽くあしらった人が、もう一度声をかけて来てくれて、その人がゲストハウスまで送ってくれる方でした(><)うたがってすみませんでした!!しかし、タイに来て駅前で相手から声をかけてくる時は80%以上がタクシーやホテルの勧誘、あわよくば騙そうとする人たちなので、誰を信じていいのかと思わされることが多かったです。(バンコクに着いた当初、メチャクチャ安い値段でタクシーに乗ったら、知らないところでおろされました。ひとつでも隙を見せたら荷物をもっていかれそうな経験をしたので・・)ゲストハウスには無事に着きました。シャワーを早速浴びたら、水だけしか出ず、時間が経つと水圧が下がってしまうようなおんぼろシャワーでしたが、ゲストハウスのおばあちゃんはとても愛らしく、優しそうでよかったです。ついてから、さっそく市内観光に繰出しました。
アユタヤは多くの遺跡が残されていて、山田長政で有名な日本人町もあります。街がお堀の川に囲まれていて、外側はトゥクトゥク(タイの伝統的なバスタクシー)をチャーターしてまわり、雨季の湿気が多く、Tシャツの汗が絞れるほど日照りの強い中、内側は自転車で回りました。タイは野犬が多いのですが、暑さで犬も猫もぐったり・・・道端にねっころがっていて、バイクに引かれそうになるほど夏バテしている犬もいました。
アユタヤでの一番の思い出は、タイマッサージです!!実は、私、プロからマッサージを受けたことがありませんでした。タイマッサージは足から始まり、最後に顔、頭で終わります。筋肉を押したり、のばしたりとどこを触れば、気持ちよく感じるのか記憶しながら、マッサージを受けてきました。この経験を病院でのトリートメントでも生かしていきたいと思っています。マッサージが気持ち良すぎて、アユタヤがとても名残惜しく感じましたが、次の街チェンマイに向かいました。
スコータイ(1日間)
スコータイは、アユタヤからバスで7時間ほど移動したところにあり、タイ人が生活している新市街と歴史公園のある旧市街があります。
スコータイはタイ人が初めて王国を建国した場所です。スコータイが滅びた後は、熱帯雨林にずっと眠っていたので遺跡の保存状態もよく、スコータイ様式という特徴的な建築物や仏像を見ることができます。現在のタイや日本にある男性的で威厳のあるブッタ像とは違って、スコータイのブッタ像は、体はほっそりとし曲線に富んでいて、女性的で穏やかな表情が魅力的でした。
スコータイは、小さい街ですが、歴史の詰まった場所でした。あと、スコータイは虫が多いと聞いていたので、エッセンシャルオイルのラベンダーを持っていって、肌に塗っていました。ラベンダーのおかげで、虫にかまれませんでした!虫刺され後もラベンダーは重宝するので、ひとつ携帯しておくと安心です。小さいですが、空き地市場にも行きました。
チェンマイ(5日間)
チェンマイは、スコータイからバスで8時間移動したところにあります。タイの京都と呼ばれるように、手すき和紙や銀製品、陶器など伝統産業がさかんな都市です。
チェンマイは、北部の中心地でタイ人が建国したもう一つの国です。都市近郊には、山岳民族が住む山々が広がり、トレッキングにも行きました。トレッキングでは、雨が降って、道が川となり、ひざ上まで水につかりながら、熱帯雨林の山を登りました。私たち以外ヨーロッパ人だったので、私の短い足でみんなの速度に合わせるのは大変(><)急な山道に入ると、足がつりそうになり、いまにも砕けてしまいそうでした。
夜は、山岳民族の村にある山小屋に泊まりました。シャワーがあると聞いていたので、安心していたのですが、ポリバケツの中に溜めてある水がシャワーの代わりとはさすがに驚きましたが(・・。)しかし、山小屋から見えるどこまでも連なる山々と広い空は、なんともいえないくらい雄大でした。タイ人の故郷はチベットと聞いていたので、この山のずっと先にあるチベットからタイ人はやってきたんだなあ〜と歴史のロマンを感じていました。
次の朝、私はトレッキングのつらさに耐えられず、途中下山し、市内観光で寺院を巡りました。チェンマイの寺院は北部だけあって、中国の影響が強いのでしょうか真っ白な建物や龍の像が印象的でした。そしてチェンマイは、さすがタイの京都といわれるくらい伝統工芸がさかんでした。日常でも使えるように、おしゃれにデザインされた陶器やアクセサリーが多く、ついついお財布の紐がゆるくなってしまいました。
次に、タイに行くときは、チェンマイよりもっと北にいったところにあるチェンラーイという街にもいって、かの有名な首長族に会いたいですね〜。いよいよ、次の街はサムイ島です。電車で途中のバンコク1泊はさんで、2日間まるまる移動です。さすがに、タイは広いなあ~と実感させられました。
サムイ島(5日間)
サムイ島は、タイ南部の東側の海に浮かぶ島です。私は、比較的静かなラマイビーチのすぐ側にあるバンガローに泊まりました。サムイといえば、ビーチリゾート!!砂浜で一日中過ごしていると、いっきに肌が黒焦げになりました。サムイの近くにあるタオ島の近海でダイビングにも出かけました。タオ島はジンベイザメやカメが見れるスポットとして人気があるのですが、さすが雨女の私!ダイブしている途中から大時化・・・しかも、船がオンボロで水がたまり、デジカメが故障してしまいました。でも、おいしそうなアジやカマスの群れを見ることができ、大群のむれがとてもきれいでした。なので、ぜひ、タイに行ったら、ダイビングしてみてください!
バンコク(3日間)
最後、日本に帰国するため、空港のあるバンコクに戻りました。バンコクでの3日間は、やはり日本へのお土産を買うべく、中心部にあるデパートやナイトマーケットにくり出していました。タイといえば、タイシルクと思い、ジムトンプソンというブランドの店でお土産を購入しました。友達にお土産を渡すなら、ナイトマーケットの商品でもいいのだけれど、目上の人やきちんとしたものをプレゼントしたい場合には、是非ジムトンプソンの商品をおすすめします。ブランドといっても、日本に比べると、安いのでご心配なく・・・。また、タイで一番気に入った料理のタイスキを二回同じ店に行って食べました(笑)ちなみに、タイスキの語源は、タイのスキヤキって言う意味なので、日本がルーツのちゃんこ鍋のような料理です。辛いものや香草料理に飽きてしまったときのタイスキは染みますね。
3週間の旅行で、タイのいろんな地域に行くことができました。タイの人々は、とてもフレンドリーで、英語もとても上手でした。映画の「アンナと王様」に出てくる宮殿・寺院の多い所やブランドが入ったデパートが並んでいるような発展している地域もあれば、すぐそばには貧しい家が立ち並んでいたり、限りなく続く田んぼが広がっていたり・・・長期滞在することで、いろんなタイを見ることができました。今度タイに行くときは、旅行ではなく、ぜひタイマッサージを習いに行きたいです!!
就職して1年程で指に痛みを感じ、整形外科に行きました。毎日、毎日コンピューターを打っていて「指の使いすぎ」と診断されるのは予想していましたが、仕事量を減らし、マッサージを続けていたのに腕や肩まで痛みだし、そして指の力も全く入らなくなり、しびれもどんどん酷くなりました。
接骨院や神経科などあちこちに相談しましたが、リュウマチ、四十肩、神経痛、etc。「私はまだ20代前半よ!」と情けない思いでした。痛み止めを飲んだり、注射したり、電気をあてたりいろいろ試されたけど、痛みは増していき、医者への不信感は膨らむばかりでしたが、自分ではどうしていいか解らず言われるままを続けていました。それでも最後の望みを託して9ヵ月間ほとんど毎日通ったところでも「これ以上来てもらってもうちでは手に負えません。」と冷たく言われ、その頃には、あちこちの痛みとしびれで夜が寝つけないく、身体はいつも重くて、何をしてもすぐに疲れ、ペンで字を書く事もむずかしく、結局その間休んでいた仕事を辞めざるを得なく、何もかもがマイナスの暗くジメジメした生活を送っていました。両親や長いつき合いの友達にも人相が変ったと指摘され、顔に若さがない、輝きが全く感じられないとよく言われました。
それから丁度、半年程して今まで名前さえも馴染みのなかったカイロプラクティックにお世話になろうと思ったのは、実際、京都南カイロプラクティックで腰痛がよくなった知人の積極的な勧めがあったからです。正直「もうどうでもいい、何だっていい、どうせ、どうせ...」という気持ちのまま、勧められるままに予約をとりました。けれど1日目にして、私がこれまでかかった他の医者とは違い、具体的に痛みの原因と症状との関連を説明していただいたときに初めて「もしかして!」という希望が持てました。腕や肩の痛みが上のほうの肋骨と鎖骨の間隔(胸郭出口症候群)からきているなんて考えたこともなかったし、又、つながりがあるとは思いませんでした。けれども解剖の図譜を見せてもらいながら先生の話を聞いていると確かに思い当たること、うなづけることが沢山あり、不思議な気持ちになったのを覚えています。日に日に良くなるという訳ではないけれど、一進一退を繰り返しながら本当に無気力でしんどくて何をするのも億劫で、いつもいつもどんよりした気分でいたのが少しずつ楽になり、力もはいるようになりやがて痛みもしびれもなくなってゆきました。毎日9ヶ月通った病院でよくならなかったのが、わずか週に1回の治療でそれも数ヶ月でこんなに良くなるなんてほんとに驚きです。そしてカイロプラクティックを紹介してもらった友人の勧めもあって、この9月からは週2回ではあるけどもカイロプラクティックでお手伝いさせて頂いてます。
なかなか思うように出来ず「むいてないな。」と落ち込むこともありますが、からだのことを真剣に考えて下さる先生、いつもやさしくてパワフルな大下さんの影響力大で、私も頑張ろうという気になります。そうは思っているのにいつも失敗ばかりで迷惑をかけていて本当にごめんなさい。ひたすら自己嫌悪です。私がカイロプラクティックで良くなったことを生かし、1日も早く優しく上手に患者さんを励ませるようになろうと思います。まだまだ沢山の不手際があるかと思いますが、よろしくお願い致します。
(1994年2月)
キャンギャル夏の体験記
ガテン女 by Being
今年の8月に新大阪空港の近くのサーキット場で「三輪車8時間耐久レース」という三輪車を改造して競い合うという風変りなレースが行なわれました。このレースは、関西TV「紳助の人間マンダラ」主催によるもので、参加チームは島田紳助さん、掛布さん、オール巨人さん、中野浩一さん、加藤浩一さん、中条かな子さん、土建屋よしゆきさん、吉本新喜劇の若手芸人さん、各チームと一般から応募したチームです。(一般出場者には予選があり、勝ち抜いたチームが出場できます。)参加メンバーを見るとおちゃらけたレースを想像されると思いますが、これは想像を絶する過酷なレースとなりました。テレビをご覧になられた方はお判り戴けると思いますが、小さな子供さんが乗るあの三輪車に、大きな大人がまたがって、なんと!8時間もサーキットを走り続けるのです。不自由な姿勢で長い時間漕ぎ続けるにはアンビリーバブルな脚力と忍耐力、精神力などが必要です。
レースの前段階として各チームは創意と工夫を凝らし、大人の重量と長時間の走行に耐えられるだけの三輪車造りから始まりました。三輪車には予算制限がなく、5万円前後のチームもあれば、30万円もかけて造ったチームもあります。三輪車の装飾もなかなかユニークなアイデアに富んだものがズラリとスタート地点に並んでいます。果して、最後まで走行し続けることができるのでしょうか。
開会式が始まり、各々のチームスタッフと走者の紹介があり、キャンギャルやタレントと写真撮影をしたりして、場内は賑やかなムードの中でスタートしました。
実際、レースがスタートしてからの三輪車の走りを見ていると、車体(骨組み)が強固に出来ているチームもあれば、長時間の走行に絶えきれず、走行中にタイヤが外れたり、ペダルが折れたりと、絶えずトラブルを起こすチームもありました。この日は特別暑かったこともあり、タイヤが焼けてピットに入るチームが多く、タイヤのスペアがなくなり、近くの玩具屋さんまで買いに走ったチームもあった様ですが、自分達の造った三輪車のトラブル続きに、メカ(普段は車やバイク専門の人が大半)の人達も慣れない作業を手伝い、不安げな表情を隠せない様でした。
順位は変らず、三輪車に30万円も掛けたチームが、スタートをしてからずっと1位をキープしています。2位以下は接戦となり会場は盛り上がり、観客たちもスタート直後は、大人が三輪車を漕ぐ見慣れない滑稽な姿に、笑い声があちこちで聞こえていましたが、その声も走者たちを必死で応援する声に変っていきました。
私が手伝っていた土建屋よしゆきチームは、予選では2位の成績で、優勝候補とまで期待されていたのですが、走者の1人がスタートしてすぐに足の筋肉が痙攣し、順位はどんどん後退していきました。これでは先行き心配です。
スタートしてから6時間程経過したころ、雲行きが悪くなり、雨が降ってきました。走者達の疲れきった苦しそうな表情がはっきりと伺えます。同じサーキット場を何周もするので、足の筋肉がパンパンに張ったり、腰痛をおこしたりで、ペダルを踏む力がますます弱くなります。ピットでは、トレーナーが手当に必死です。それでも一生懸命漕ぎ続ける走者の中には、若い女性や年輩の男性もいますが、心中皆同じにして、リタイヤしたい気持ちもすごくあったのだと思いますが、完走したい、やりとげたいという気持ちのほうが大きかったのでしょう。各人共、体力、気力の限界に挑んでいるように思われました。
ラスト1時間...30分...本当に厳しく、苦しい闘いも秒読み段階になりました。場内は「頑張って!」という声援でいっぱいです。最後の追い込みに入り、サーキットも走者達の激しい闘いが再び始まり、若い男性は小学生の男の子に抜かれまいと必死になり、小学生の男の子は大人達を追い越したいと精一杯に三輪車を漕ぎます。
ゴールには白いテープが張られ、会場にいる皆でカウントダウンをします。1位のチームがテープを切って次いで2位、3位と順番にどんどんゴールへ入ってきます。(1位は勿論、スタートからずっと1位を守ってきたチームで、私達のチームも走者の頑張りでめでたく6位でした。)
私は、まるで高校野球の応援団の一員ように、彼等の健闘した輝かしい姿に感激して、涙が出てしまいました。この大会に参加したチームやスタッフは、皆ボランティアですが、それでも走者を含め、スタッフ達が一つの目標達成の為に一丸となれたことに感動しました。
今、体験記を書くにあって(ホントは書かされている)レースを思い起こしていると、日常生活でそのような感動があまり体験できないのはどうしてだろうと、ふと疑問がわいてきました。
現在、職業というものは、単に生活の糧を得るための手段にすぎなくなってきていることが多いようです。天職だといった考えや社会のためになる、また職業を通じて「自己実現」をしていくという本来の目的が失われ、自分の職業に対する誇りや創造の喜びがなくなってきていることから蔓延してきているのでしょう。自己中心的な生き方が尊重され、自分本位に生きることに価値観がおかれ、お互いが、共通の理想、同じ主義主張のもとに集まり、それにふさわしく行動するより、自分の好むとき、部分的におつき合いしましょう、といった時代に生きているからこそ、このレースに参加してこんなにも感動できたのだと思います。今回の体験を機会にして、自分の成長と共に少しでも社会の為に貢献できるよう頑張っていきたいと思います。
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